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いらっしゃいませ
◆拙ブログカテゴリー・ご案内
◎さくら書房…読書感想・書評です。ジャンル問わずなんでも読みます
・ブログ感想&レビュー…「ですます調」
・投稿書評…「だ、である調」
と、文体を変えています。日によってコロコロ変わるのはそのせいです
読みにくくてすみません…。

基本・ネタバレてますです。
◆オンライン書店bk1様より
鉄人癲イい燭世ました   
 ★5月10日 bk1投稿記録更新しました


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2012.04.26 Thursday  | - | - | 

「船に乗れ!」 藤谷 治

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 先日の大震災で、ご被害・ご影響を受けた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
真心をこめて、この本を通じて、震災に寄せた想いを書きます。

                  *

恐ろしかった。心配だった。悲しかった。不安だった。
時がたつほど甚大になる被害状況に、ニュースを見るのが怖かった。
でも真実が知りたくて、見続けた。


震源地からかなり離れたところに住む私は、ありがたくも変わらずの日常を送れている。
定時に仕事に出かけられるし、節電対象区域でもなく、ガスや水道にも不自由ない。欲しい本だって、買えるし、読める。
同じ日本であれほど恐ろしいことが起きて、辛い思いに耐えている方が今この時もたくさんいるのに、私のこの幸せはどうだろう。

そう思うと、当り前の日常が心苦しくて、ましてや生活を楽しむことなんて不謹慎だと感じてしまう。
音楽など聴いていいのだろうか、絵など描いてる場合ではない、こんな時に本に感動するなんて…と思う気持ちを止められない。
本当に辛いのは被災された皆様なのに、こうして安全なところから悶々するだけの自分もほとほと嫌だし、どんどん心が沈んでいく。
結果、耳は音を拾わず、瞳は色を映さず、本を手にしてもページをめくれなかった。
ずっと、苦しかった。


あれから1週間が過ぎて、やっとわかったことがある。
安全なところにいる申し訳なさや心苦しさ、重い状況を憂える気持ちは、心あれば感じて当たり前なのだ。でも、だからといって日々を、生活を、笑うことを、楽しむことを封印するなんて、誰も望んではいないはず。被害を受けていないからこそ、私はこれまで通りの日常を送っていかねばならなかった。

だから、再び本を開き、読んで感じた心を記す。
あの時の私を今の私が抱きしめて、私にできるやり方で、私にとっての真実=想いを伝えていく。

                   *

震災後初めて読む本をこの作品に決めたのは、表紙イラストがかわいかったからという実にたわいない理由だったが、びっくりするほど面白かった。引き込まれた。
悟の乗る船の辿り着く先が知りたくて、1から3まで一気に読んだ。

「音楽を聴いている人は、その音楽に大いに参加している。」

本書で、作者はこう語る。
奏者と聴衆があって、初めて音は「音楽」となると言いたいのだろう。
同様に、本を読んでいる人も、絵画を眺める人も、全部合わせてその作品は成るといえる。

「芸術」とは、そこに込めた想いを伝えたい人と、込められた想いを受け取りたい人、そのどちらにも必要とされて生まれたものと思う。(私はマンガやお笑いも芸術=人が想いをこめて創ったものだと考えてます) 
生まれた歌や絵やお話が、時代や世代を超えて伝承されてきたのは、人にはどんな時にもそれらが必要だったからだ。
時に知恵として。時に娯楽として。時に慰めとして。
生きるため。祈るため。


被害を受けた皆様を見舞う心と復旧への祈念を忘れずに、私はこれからも日々を過ごしていこう。
普段通りに、笑って、感じて、時に泣いて、精一杯船を進めよう。
いつか港に着いた時、笑顔で碇を下ろせるように。


そして1日も早く、1人でも多くの方が、読書や音楽の喜びをその手に取り戻されることを、ずっとずっと祈っていく。




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2011.03.29 Tuesday 22:58 | comments(2) | trackbacks(0) | 

セントメリーのリボン

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 「大好きな作品は?」と問われたら、すぐさま答えられない。
たくさんありすぎて即答が出来かねるからだ。

では、「大好きな作家は?」と問われたら。
「稲見一良さん」と迷いなく答えられる。
この方の描く世界が、今も昔も、多分これからもずっと、もうどうしようもなく好きである。

私が惹かれてやまない氏の作品の特徴は、ずばり「動物」である。
ご本人の趣味が「(射撃)狩猟」だっただけに動物の生態描写は息を飲むリアルさ、この方の右に置ける邦人動物作家(?)は、かの椋鳩十氏ぐらいしか思い浮かばない。←寡聞なだけか

狩りという名の下で生物の命をやりとりする人だからこそ、一層真摯に見つめ(観察し)てきた動物(野性・ペットを問わず)への愛情と賞賛と、たぶん懺悔の心。
そこを根底とした人と動物とのドラマ。
奇跡は間違いなく待っているだろうと、ページを開く前からワクワクする。

そして、今作の「セント・メリーのリボン」は、
<ハードボイルドの厳しさと感傷を底流にした、闘争の話をかこう>
とおっしゃっていた稲見氏の志がもっとも力強く貫かれている傑作と思う。



狩りの途中でいなくなった猟犬を探す「猟犬探偵」の竜門 卓。←名前からしてハードボイルド(笑)
※そんなピンポイントな探しモノ稼業で食べていけるのだろうかという素朴な疑問がまず浮かぶが、浮かんだ時点でもうこの作品の虜だったりする。続編「猟犬探偵」もこの後、読もう。

「ハードボイルド」な「探偵」で連想できる、ちょっとワイルドでクールないい男という人間像はイメージ通りの竜門だが、その生き方は、「猟」「厳しさ」「闘争」といった怖い字面の単語から想像される暴力と殺戮にまみれた「ハードボイルド」とは全く違う。
寡黙にすっと立ち上がり、相棒(犬)にソファー譲っちゃいます、みたいなハートウォームなご仁なのである。


今作「セント・メリーのリボン」では、探すのは「猟犬」ではなく「盲導犬」だ。専門外のことながら「例外」として引受けている。
が、実はこの依頼以外も例外だらけで、本当はタイトル「動物探偵」が正解だったかもしれない。そんなとこも大好きだ。好きってそういうことだ(笑)

山野を彷徨う猟犬を探すぐらいだから、竜門の「犬」の生態とサバイバルに関しての知識は半端なく、「相棒」(決して「愛犬」とは呼ばない)ジョーと一緒に、ほんの僅かな痕跡からターゲットに切迫していく様は、幾度読んでも新鮮にワクワクする。
そして、捜査が進むにつれ明らかになる切ない事情。悪人など誰もいなくても、「事件」は起こってしまうのだった。

イブの朝、神戸のトアロードに舞降りたのは、白い雪と赤いリボンに彩られた奇跡の贈り物。
「奇跡」もまた、起きるのではなく、起こすものだとも胸に染み入る。



この本のサブテーマは、「男の贈り物」だという。

余命半年と宣告されてから、小説を書き始めた稲見氏。
遺された数冊の尊い贈り物、出会えた奇跡。




今年のクリスマスもこの本を読む。読まずに終われない。

 

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2010.12.19 Sunday 11:33 | comments(0) | trackbacks(0) | 

「龍神の雨」

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ここ1年ちょっとの道尾作品って、少し変わってきたよな〜。

と、感じるのは私だけではない気がする。(よね?)
全てではないとはいえ初期作からコンスタントに読み継いできて、「ん?なんか違うぞ?」と感じた最初の作品、いわば創作源流の分岐点と思えるのがこの作品だ。


「雨のせいで」「雨のせい」「雨の…」「雨の…」「雨の」…
タイトルから、目次から、本文から、病的なまでに繰り返される「雨」のリフレインが、まるで台風=雨や風による暴力のごとく激しく脳裏に降り注ぎ、読者を感涙の世界に溺れさせていく。

天災か人災か、雨に流され翻弄される2組の主人公・子供達は、それぞれ兄妹、兄弟の間柄である。
様々な事情で愛に恵まれなかった彼らは、信用できる「大人」などこの世にいないと思いこんでいた。

「大人」は汚い。「大人」はずるい。「大人」は黒。

しかし、彼らの考える「大人」とは親、家族だけを示している。
子供ゆえ、幼さゆえに、「血の絆」のみに真を見出す無垢な魂。そして無垢ゆえに、「疑惑」(灰)を黒=悪と断じてしまう。白か黒しかない純粋で未完な世界に生きる彼ら、幼さと高潔はこの作品では同義語である。


「弱い」大人と「汚い」大人は違うと、そろそろ彼らも知らなければならない時期だった。弱くとも優しい大人に囲まれて、穏やかに学んでいける時期だった。そうして彼らも「大人」になるはずだった、「雨」さえ降らなければ。
思春期とは子供が大人になる過渡期のことだが、見方を変えれば、大人の代表である親の「濁」部分に初めて気づく時期、若干の寂しさをもって親も自分も同じ「人」であると悟る時期なのではないかと思う。
彼らにとって最愛唯一の人間=大人(親)以外の血族を守るために取った汚れない行動は、本当の汚い大人に利用され、最悪の汚濁となってしまう。嵐がもたらす濁流で世界は決壊するのである。
そして彼らは無垢ゆえに、汚れた自分たち(だけ)の世界を許せない。

ラスト、2組の兄弟の迎える末路は全く違う。初めは確かに同じ所にいたのに、濁路を二つに分かったのは皮肉にも「大人」の力である。
結末の違う2組の子供たち。
これこそ既存作品とは違った新たな流れを感じたところだ。これまでの作品ならば、おそらく主人公は1組、結末は一つ(バッドエンドのみ)だったのだはないだろうか。


今作では、作者お得意のホラーめいた異形ファンタジー設定を封印している。巧みなトリック的文章は変わらずながら、描く舞台はあくまで現実。作者が「現実社会で実際に起こりうる悲劇(ドラマ)」を終始意識しているのがよくわかる。
「龍神」という幻想的な生物をタイトルに冠していても、決して荒ぶる龍神のきまぐれから起きた運命のいたずらを描こうとしているのではなく、引き起こしてしまった最悪の現実を天災=龍神のせいに、雨のせいにしたい、この罪から逃げたい、何も起きなかった頃に戻りたいという、幼い彼らの後悔の催涙雨を作者は描きたいのだ。
さらに言えば、守ってやれなかった幼な子たちに対する龍の悲しみの咆哮、すなわち天から彼らを見守っていた父や母の慟哭だとも言いたいのだろう。
だから作中の雨は、決してやむことはない。


起きる事件や真犯人など早い段階でアレコレわかってしまうにもかかわらず、道尾作品の既存作風と幻想的な「龍」に目を奪われて、読み手が勝手にやっかいな迷宮を創り出してしまう作品である。
この読後感を肩すかしと感じるか、意欲作と取るか、意見が分かれるかもしれない。
が、この方にしか書けない作品であることには間違いない。

ダークファンタジーの皮を被ったヒューマンミステリー、今後は、今回のような「現実」により重きをおいたドラマ性の高い作品が増えていくだろうと予想できる。齢を重ねなければ書けない作品とも言えるかな。

直木賞候補にもなるぐらいだ、ゴール(完成型)はそう遠くない。
ついに到達した!と感動する自分を想像しながら、今後も氏の作品を読み続けようと思う。





 

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2010.10.08 Friday 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) | 

ブログをしばらくお休みいたします

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皆様、ご無沙汰しております。
更新ままならぬ当へっぽこブログを今もってお訪ねくださること、本当に感謝しております。

秋になったらまめに更新…するつもりでおりましたが、少々大きな仕事が決まり、当分の間ブログをケアすることができなくなりました。
ブログ閉鎖…も考えましたが、落ち着きましたらまた再開したいとの思いもありますので、閉鎖ではなく、公開記事を減らしたうえでしばらくの休止という形をとらせていただこうと思います。
期間は未定ですが、1年を超えることはない…ようにしたいです。
諸事落ち着きまして無事再開のめどがたちましたら、またこちらでご挨拶させていただきます。

リンクさせていただいている皆様、今後も皆様の記事を拝読させていただきたいので、わがまま申し上げますが、御迷惑でなければこのままリンクさせてくださいませ。



末筆ではございますが、皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

                                 はりゅうみぃ


 
 

◆今後の予定
9月末までこのまま公開、10月から公開記事を淘汰させていただきます。
コメント・TBなどをいただきましても、お返し等即対応できないと思われますので、もし、今後お言葉いただけるのでしたら左サイドのメルフォをご利用くださいませ。


・bk1への書評投稿
書くことから離れたくないので、できる限り続けてはいこうと思ってはいます。2,3ヶ月に1本ぐらいなら…書けるかも。完成しましたら、こちらにもUPするつもりです。


・読書メーター
こちらは多分ケータイから、まめに書き込んでまいります。
記録だけは取っておかないと二重買いしてしまいますゆえf(^^;)


・エディタ
フォローが全くできなくなりますので、申し訳ありませんが退会いたします。
ブックマークしてくださっていた皆様、お礼もお詫びも直接申し上げられず本当にごめんなさい。









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2010.09.15 Wednesday 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) | 

「快楽の本棚―言葉から自由になるための読書案内 」 津島 佑子

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お久しぶりに1本UPいたします。
涼しくなったら、もう少し密に更新したいと思います…

         *         *         *

快楽の本棚−何やら艶めいたタイトルだ。
サブタイトル「言葉から自由になるための読書案内」の意味も、一見しただけではよく分からない。
言葉から解放されるために、言葉で書かれた本を読む=読書するのは本末転倒に思える。
そもそも、文筆業を生業とする筆者がなんだって「言葉から自由にな」りたいと思ったのか。謎だらけである。読まねば分からない。

ページを開けば、冒頭からたっぷりと20ページ強を使って、「はじめに―自分という生命に出会う」という序章があり、この本を書くに当たっての筆者の経緯と決意が読みやすく、けれど力強い文章で語られる。
ここを読むと、この本の執筆目的が読者にオススメ本を紹介する類の「読書案内」ではなく、「津島佑子」という人物を形作った本を著者の人生と共に振り返りつつ、言葉(文章)を産みだす大元、自己の本質を探り当てるまでの軌跡を記したいのだとわかる。
いってみれば「本」に限定した筆者の回顧録とも自叙伝とも言える性格のもので、著者個人に興味がなければ退屈に感じるかもしれない。
が、言葉から自由になるために、こうやって言葉を尽くしてしまう行為を探ることは、「読むこと」「書くこと」という「文学」の原点を模索することに繋がるような気がする。
筆者の執筆動機がおぼろげながら見えてくる。


本作では、筆者はかなりのページを割いて、子供時代を振り返っている。
言葉で「語る」という手段を満足に持たない未熟な時代にもっとも心を魅かれたもの、それがその人の本質に最も近いと筆者は考えたからだろう。

理屈ではなく心魅かれるもの、例えば路傍の小石だったり、蝉のぬけがらだったり、世間体や固定概念にとらわれることなく、ただただ興味をひかれしまうものをじっと見つめたり、はたまたわくわくしたりする気持ち、言葉をもたない幼年期には確かに強かったような気がする。
が、成長するにつれ、文字を覚え本を読み、そこで得た知識や語彙を駆使して感覚を表現することを教育の名のもとに強制され、同時に社会への参加も始まって、個々の感覚とは違う「世間」の目、集団の秩序といったものを教えられる。
つまり、知識や社会性と引き換えに、言葉や常識といった枷を感性の表現に強いることになっていくのだ。

「快楽」の言葉に、艶っぽさを認めて当たり前である。性と悦びは切り離せないものだから。
が、「性」という漢字が「生きる」「心(りっしんべん)」と記すように、性と快楽は決して色めいた意味だけで使われるわけではない。
わくわくやドキドキなど心の高揚を覚える時、人は「生」を実感する。
女らしさ、男らしさといった、世間から与えられた性区別・ジェンダーアイデンティティへの懐疑や不安から解き放たれて、1人の個として生を悦ぶ心。
快楽とは枷から解放されること=自由と深い繋がりがある。

本作は、文筆業に長く携わって生きてきた筆者だからこそできる、形成された自己を解体していく作業記録だ。言葉を尽くして、これまで確立してきた個性=言葉で固めた鎧を脱ぎ去り、柔らかい自己をむき出しにしていく、人生をしたたか生きてきた人にしかできない挑戦である。ルーツを探リ原点に戻ることで、これからの道標をはっきりと見つめ、今後の人生をさらなる悦びに溢れたものにされようとする筆者の生への覚悟とも言えるだろう。還暦という言葉があるように、過去を振り返ることは未来を見据えることでもあると、ここにはしっかり記されている。人はリセットなどできないが、リスタートはできるのである。


今の私にとっての読書とは、言葉にならない感情を、書きしるされた言葉(本)の中に見つけることで悦びを感じる行為だと思う。善し悪しに関係なく、どんな書物でも必ず心動かされる箇所があるし、それこそが「私」自身、すなわち個性である。読書を楽しむとは、その箇所と巡りあう時をわくわくしながら待つということだ。
言いかえればいまだ枷の中・個性の確立で精一杯ということに他ならないが、それでも少しづつ私なりの「快楽」の本棚を築いていけていることが、じんわりと嬉しい。
いつか筆者と同じ年代になった時、私も筆者と同じ挑戦と覚悟をしてみたいと思う。



巷には本が、物語があふれている。
選ぶ自由。選ぶ快楽。それが私を作る。




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2010.09.01 Wednesday 10:25 | comments(0) | trackbacks(0) | 

ご無沙汰しております

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酷暑が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私は元気で本を読んでおりますが、なかなか形に出来ず今日にいたっております。
ほとんど開店休業状態のこんなブログを忘れずにいてくださる皆様、本当にありがとうございます。


何のお礼もできませんが、左サイドにYOUTUBEパーツを取りつけました。
オススメJ−POPがランダムで流れる優れモノです。
更新キー(F5)で、曲変更もできますので、お時間ありましたら楽しんでいってくださいませ。









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2010.08.02 Monday 04:26 | comments(0) | trackbacks(0) | 

「天地明察」 冲方 丁

4月20日に投稿しようとして、その日に本屋大賞を受賞されたため、タイミング的に何やら照れくさく公開を控えていた「天地明察」の感想です。受賞を祝して、最後を書き足してあります。

とても面白い小説でした。ストーリーだけでなく、ここに込められた(と、私が思う)作者様の想いに胸打たれました。で、このような感想に…。
直木賞候補にも、なられたとか。ますますおめでとうございます♪

少々ネタバレしておりますが、ページを折っておりませんので未読の方はお気をつけ下さい                

              
               *          *         *


雨露を含んで、綺羅めきを増す新緑が美しい。
萌えぐ若さが輝き光るのは、植物も人も同じである。


30代前半のライトノベル作家が描く時代小説。
親しみやすい表現と鮮やかな展開で、天地の理(ことわり)を追いながら人の理をも同時に描く、作者渾身の意欲作が本作「天地明察」だ。

天に星なければ星の図は成されず、地に人なければ星の図は必要とされない。
人に生なければ学を極められず、生に縁なければ学を伝えられない。
若さは未熟ではなく可能性、齢を重ねる事は縁を重ねる事。
作者は江戸時代の暦学者・渋川春海の生涯を通じて、このメッセージを痛快に明快にうたう。


例えば北斗七星。
星を繋げて柄杓を描くが、実際の星々は隣接などしていない。100光年から1000光年まで隔たりあう星が柄杓の形を成すのはあくまで見かけ、この地球に生きる人だけが見る事の出来る奇跡の図だ。
本作で春海を取り巻く魅力的なあまたの登場人物たちは、それぞれが人の世の綺羅星といえる。春海だけが、そこに縁(えにし)の糸を繋いで、この世に「北斗」を成せるのである。
彼の遺したもっとも偉大な功績は、偉業を達成し歴史に名を残したこと(だけ)ではなく、人の縁の糸を見つめ、繋ぎ続けたことだと作者は伝える。

行間から滲む情を慈しむような、先達作家の描く時代小説とは明らかにタイプが違い、それを「若さゆえ」と穿つ気持ちも、正直なくはない。
が、本作の魅力はその「若さ」にこそあるのだ。
セリフだけで個性が区別できるほどしっかり書きわけられた、いわゆるキャラ立ちした登場人物、画像が浮かぶかのようなメリハリの利いたシーン展開など、随所に感じるのは作者の「演出眼」だ。作者はアニメやマンガなど、画(映像)や場面を常に意識して作話する、脚本家タイプの方なのだとよくわかる。
この表現感覚こそが、画や音などで感覚を補足されながら、作品を理解する事に慣れている読者層に最も有効なファクターなのである。

作者がご存じでなければ、伝えたいと思う。
この本を読んで、これから何にでもなれる事が嬉しいと言った中学生がいたこと。
数学の授業がちょっと楽しみになったと語った高校生がいたこと。

どんな傑作でも、読む人がいなければ、存在しないのと同じことだ。
先細り必至の時代小説の読者層と、ただ今全盛期のコミック・ライトノベルの読者層を結びつけた、本書の功績は計り知れない。



ではこの作品は、若い世代や、時代小説に縁のない読者層にとってだけ有意義なのかと言えば、これがまたとんでもない。
むしろそれ以外、時代小説もそこそこ嗜む、不惑・天命といった世代こそが読まねばならない作品なのではないかと思っている。

先の学生達のような、未来に光を見い出せる世代が、春海の生き様に心震わせたように、作者自身も春海の生き方に憧れを、もっといえば、彼の様にこれからも生きていくというご自身の誓いを、この作品に込めたように私には感じる。

が、いくら春海でも、「綺羅星」なければ「北斗」は紡げない。
今生きている若い世代が、未来に希望を見るのか、諦念を見るのか、それは先達である大人次第だとこの作品は遠巻きに伝えている。
青いだの甘いだのと言う前に、己の後をついてくる人間はいるのか、誰かにとっての綺羅星になり得ているか、歩んだ我が道を振り返ってみろと言われているに等しいのである。
作者が時代小説を書いた理由、なんだか見えてくるではないか。

なんとも重く、熱く、面白いラブレターを、作者は書いてくれたものである。



本書は今年度の本屋大賞を受賞された。(おめでとうございます)
世代・性別関係なく、多くの読者が手に取るだろう。
先の学生のように、本書で志学を実感し、中には、第二、第三と、春海や関の後進が育っていくかもしれない。
娯楽に娯楽以上の志を見出す。これも明察。書の力。

そして我々壮年世代は、彼らの布石となるために、己の成せることを精一杯見つめ、精進せねばならないのだ。





さて、私。
作者のような綺羅めく才能もなく、気力も体力も下り坂。
が、次世代に本書を紹介することぐらいは出来そうか。


あの学生たちの、キラキラした眼。
ここにも、地上の星。













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2010.07.02 Friday 06:47 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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