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2012.04.26 Thursday  | - | - | 

「打ちのめされるようなすごい本」 米原万里

読書が趣味だと普段から公言しておきながら、実は「読書」について熟考した事はほとんどない。
「本」を「読む」という行為が人生においてどういう意味を持つのか、一つの答えをくれたのが筆者の絶筆を収めた本書・「打ちのめされるようなすごい本」だ。

筆者の米原万理さんは2006年にご逝去されたが、本書は彼女がご健康である頃から最期の最期まで書きつづった闘病記録までその生涯のほぼすべての書評を納めている。
本書が書評集として大傑作であるのは言わずもがなであるが、ここには彼女自身・筆者の人格形成の根本も刻み込まれている。

多岐多彩に渡る本の分野、時に圧巻、時に洒脱味を交えた冴えた文体に胸震わせて読み進めるのだが、それと同時にこの豊かな才能がもうこの世にない事に何とも言えない虚無感を感じる。
この奇跡の集成、知識の宝庫を一瞬にして無にしてしまう「死」の恐ろしさ。本書が見事であればある程失くした至宝に寂寥の念を禁じえないし、何より「生」を燃やす事の意味を考えてしまうのだ。

彼女は読んだ本を「書く」ことにより、本の存在もご自分の存在も永遠のものとした。
今生きている私たちがこうして彼女の遺産を分けてもらえるのは、精一杯生を生きた人からのギフトだがそれは結果論で、筆者は私たちに贈り物をするために書いていたわけではない。
おそらく筆者は仕事ではなくとも書く事をやめなかったと思う。なぜなら凄まじい闘病記から感じる生への執着はそのまま、読み続けたい、書き続けたい、と願う筆者唯一の祈りの表れだからだ。


それではこうして形に残さなければ「読む」事は無駄になるのだろうか?
どうせ失ってしまうものならば初めから増やす努力などしないほうがラク?

確かに読んでも読まなくても生は終わる。感じても感じなくても死は等しく訪れる。
がせっかく人として生を得たのなら他の生物にはない「知」というものにこだわって生きてみたいとは思わないだろうか。
「知」を得る手段は様々で、例えば経験から得た教訓だとか、己をとことん突き詰める悟りのようなものもあるだろう。
そして筆者は「書く」事を選び、私は「読む」事を選んだ。

だから読む。死ぬまで読む。
死ぬまで書いた筆者のように。

 

「打ちのめされるようなすごい本」とは、すなわち本書の事である。

 

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2009.06.06 Saturday 02:47 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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