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2012.04.26 Thursday  | - | - | 

「太陽を曳く馬」 高村薫

「マークスの山」で孤高の道を歩み始めた。
「照柿」でその方向を明確にした。
「レディ・ジョーカー」で目指す高みに辿りついた。
作者恒例の全面改稿はあっても到達したゴールは変わらない、今までそう思ってきた。

なのに今10年余の時を経て、再び「合田雄一郎」を描いた作者の意図は何なのか。
主たる興味はそれだけ、付け加えるならかつての黄金期の再来を期待するかのような蛇足的続編ではない事を祈りながらこの本を読んだ。

本の神様は真摯な祈りを聞きとどけて下さったようだ。蛇足どころか、新境地だった…!


「太陽を曳く馬」というタイトルから真っ先に浮かぶのはギリシャ神話のパエトーンの物語である。
パエトーンは太陽神の実の息子であることを証明しようと、父の持つ太陽の馬車に無断で乗る。しかし「太陽」の力は子供の手に余り、馬はたちまち暴走し軌道を外れ地上は灼熱地獄と化する。地上を救うためパエトーンと馬車は大神ゼウスの神雷に打たれ、パエトーンは墜落死する。

明らかにこの物語からインスパイアされたであろう、容疑者・福澤秋道とその父との関係。
猟奇事件を犯す息子、失墜する死、父の役割。最後の一行の戦慄…。
作者の描く神話は凄まじい。これが小説=虚構の世界であることに心の底から安堵する。


作者はこれまでのシリーズでは、例えどんなに重苦しかろうと「人」と向き合い「人」を描いてきたと思う。だから各作品にはきちんとしたピリオドがあった。
でも今作では、作者は人と向き合うのをやめている。向き合った末の傍観を選んだのである。

己を疑うことなく馬車を御しつづける父、己を求め続けて見失い堕ちていく息子。
父と秋道、両極ながらどちらもまさしく「人」である。
しかし今作の作者は2人に善悪の境界を引かず、ただ書いて浮き彫るだけだ。多くの神話がそうであるように。
俯瞰された視線で見つめる人の世界。この話には結論がない。


人は被服で裸身を覆い、知識で本能に蓋をした。
人の歴史とは、単純明快だった世界の境界線を複雑に引き重ねる事で他の生命への優位性を誇示してきた、その積み重ねと言えるのではないだろうか。
そして今や複雑曖昧になり過ぎた「線」は存在すら忘れ去られ、人は有と無の区別さえ出来ない。

親子・家族の崩壊、 肉親の情線がない。
テロによる無差別殺人、善悪の境界がない。
「有」罪は確定し、死刑=「無」となる。
あふれる有のなかでしか、無を見つけられない恵まれ過ぎた私たち。

描くキャンバスがある。色づける絵具もある。
でもそれらを使って描くべき線、描きとりたい想いがない。
長い時をかけて人類が到達した頂点がここなのである。


迷い求めることに疲れ果てた時、目に留まる1枚の絵。古代人が描いた迷いのない線、そこにあるのは純粋な畏怖と祈りだ。
ボーダーレスの日常でこの絵だけを見つめる秋道。その心を誰よりも理解するのは彼自身ではなく作者なのだと、この膨大な文字量と情報を収めた本を読んで痛感する。


作者は秋道に現代の人(自分自身)を投影したが、刑事・合田には人の未来まで託してしまった。
親子の暗黒神話に合田を絡めた意味、ひいては3部作に繋がる作者の執筆動機がここにある。
1人の人間に背負わせる重荷としては少々キツ過ぎるが、作者にとって合田はキリストの様なものなのだろう。
作品中の重要アイテム、「絵」と「手紙」にその祈りが痛いほど込めてられている。

例えば絵画。
キャンバス一つとっても、布、板、紙、土など多種多様、そこにどんな画材で何を描くのか、表現も解釈も無限である。
手紙も同じだ。紙の黄ばみ、インクのかすれ具合までがその人の在り様を映し出す。
音楽やメール、昨今流行りのつぶやきのように、想いの再現に他の媒体を必要とせず、生み出した人から伝えたい人へ、質量を「有」する確かな線。
旧時代・アナログと蔑んでこれらの表現法が消える時、それは有無が判断出来ない事を危惧ではなく賞賛する時代の到来だ。

画一化した表現。切り取られる存在。消費される思考。
ここにいなくていい。私でなくていい。生きていなくてもいい…。

これでは人はこの地上に存在する生命の輪から完全に外れてしまう。まるで天上に住まう事を望むかの如く。


秋道の部屋に「太陽を曳く馬」の絵がなかった時。合田が手紙を書くのをやめた時。
作者は人を俯瞰することすら止めるだろう。それが彼女の神雷だ。

そうしないでほしい。
そうさせてはならない。








■評4.0【オススメしたいけど…】
どちらかというと思想論で、エンタメ性はほぼ0なので今までの合田作品を期待するとツライかも…。


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2010.01.05 Tuesday 20:52 | comments(2) | trackbacks(0) | 
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